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機械化が難しいからこそ果樹には未来がある、豊橋市の若き次郎柿農家の挑戦

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 「柿農家自身が儲からないと思っているし、私も始める時は周りから言われました。でも、それでは産地として盛り上がっていけません。今は、若い人がやりたいと思えるように自分が成功するしかないと思います」と次郎柿農家の繁原大樹さん(30)は言う。

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「柿は儲からない」の呪縛を解く

©️ミ キ フイルム

 「甘柿の王様」とも言われる次郎柿の一大産地、愛知県豊橋市。新幹線も止まる豊橋駅から車を30分ほど走らせれば、一面に柿畑が広がる。次郎柿は種がほとんどなく、すっきりと甘い果実にシャキッと軽快な歯応え、そして四角いフォルムが特徴だ。

 かつて桑畑が広がっていた豊橋市石巻地区。明治以降盛んだったこの地の製糸産業を支えていた桑畑は、時代と共に養蚕業が衰退したことで、徐々に柿畑へと変わっていった。現在、次郎柿の全国生産の約7割を占める日本一の産地となっている。

自動車部品メーカーから農家に転身、担い手創出へ

 繁原さんは地元の中学校を卒業後、大手自動車部品メーカーの企業内学園に入学し、そのまま就職。海外出張で家を空けることも多く、やりがいを感じる一方で、豊かさの意味を見直した時に、家族と一緒にいる時間を増やすライフスタイルを望んだ。25歳で実家に戻り、専業農家として再スタートを切った。

©️ミ キ フイルム

 祖父から父へ受け継がれてきた柿畑を、繁原さんら3人の子どもたちは継ぐ気はなく、兼業農家だった父も継がせる気はなかった。その根底にあるのが「柿だけでは食べていけない」と言う常識だったという。反対された専業農家という道を選べたのは「ダメだったら働こう」という若さがもたらす軽快さもある。

 特産地を支える柿農家は、高齢化に加えて兼業農家の多さも特徴として挙げられる。仕事をしながら代々受け継いできた畑を維持し、退職後に専業農家になる人も多い。気候により収入が激減する可能性がある農家にとって、収入面でのメリットは大きい一方で、規模の拡大など、新たなチャレンジには目を向けにくいのが現状だ。

 現在、繁原さんは耕作放棄地も借りて、作付け面積を拡大し、約250アールの畑で次郎柿を育てる。「名産地を名乗るからには、出荷量も確保していかなければならない。それには一緒にやる仲間が必要だと思います」。

 

 積極的なSNSでの発信理由の一つに担い手づくりがある。動画投稿サイト「ユーチューブ」では、せん定作業の様子や果樹の品質を向上させる方法、自身の経歴について語るなど、等身大の農家の姿を伝える。

 売り方にもこだわる。石巻地区の景色がデザインされたギフトボックスは塗り絵ができ、コロナ禍で帰省を控える家族同士のコミュニケーションの一つとして提案。通販で届ける箱も県内のデザイナーによるポップで可愛らしいデザインにした。栄養価が高いのに、フルーツ界で影の薄い柿の価値を上げる取り組みを続けている。収入も、就農1年目は半分まで落ちたが、今では前職に近い収入が得られるようになった。

 産地ならではの新規就農のメリットはある。「果樹は一から植えると出荷までに数年かかりますが、それまで収入がないのは困ります。ただ、産地なら大きく育った木が植えられたままの状態で農地を借りれます」。地元以外から就農者を呼び込むため、これまで地元のツテが頼りだった農地探しを、畑を借りたい人と貸したい人とのマッチングの仕組みを作り、1台数百万円する農業機械のシェアを進める必要があると考える。

 3㍍ほどの背丈の柿木は、夏は美しい緑色の葉に生命力があふれ、秋はたわわな実をならせる。収穫期を終えると、防虫のために樹皮を剥かれた木は酷く異質な香りを漂わせる。こうして季節により姿を変える柿木がこの地に、四季を告げる。

 機械化の進む農業でも、手作業の部分が多く、農家ごとの色が出る面白さもある柿の栽培に、未来の可能性を強く感じている。「昔のように『豊橋と言えば次郎柿が名産』と言われるようになりたいです」。若き柿農家の挑戦は続く。

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