【インタビュー】水上ビルの価値を上げる、愛知県豊橋市の商店街でアートイベントを企画するみずのうえ文化センター
愛知県豊橋市のアイコンの一つ、水上ビル。JR豊橋駅近くにあるその水上ビルを拠点に芸術や文化にちなんだイベントを企画している「みずのうえ文化センター実行委員会」が発足して1年が経った。民間と行政職員が混在した10人のメンバーが、2023年度にはトークイベントやワークショップなど14の企画を立ち上げ、2年目の2024年には還暦を迎える水上ビルの最期を考えるイベントを用意する。今回は、地域住民が多様な文化に触れる機会と環境をつくる中での手応えや今後の展望を、会長で舞台芸術作家の山田晋平さんとメンバーで穂の国とよはし芸術劇場プラットの塩見直子さん、市こども未来館ここにこの本多俊文さんに話を聞いた。
■みずのうえ文化センターとは?
愛知県豊橋市のアイコンとして地元民から親しまれている水上ビル。豊橋駅からほど近いその水上ビルにみずのうえ文化センターはある。場所は水上ビルの一角にある大豊商店街の集会所として使われてきた大豊ビルB2棟の3階。1 階には愛知県内で行われた国際芸術祭「あいちトリエンナー レ2016」の際に案内所として整備された「みずのうえビジターセンター」も備える。「アート」と「カルチャー」に対して寛大なこの場所に文化センターを置き、水上ビルのクリエイティブの拠点として2023年4月から活動を開始。これまでに、美術作家の今井俊介さんや豊橋技術科学大学の中内茂樹教授、マレーシア出身の美術家タン・ルイさん、漫画家の佐野妙さんなどを迎えイベントを企画。文化センターを運営するのは、水上ビルにアトリエを構え、豊橋を拠点に世界的に活動する舞台映像作家、山田晋平さんをはじめ、民間と公共施設で働くメンバー。専門的でありながら実験的なコンテンツを継続的に生み出している。
ーまず、発足から1年が経過して見えてきたみずのうえ文化センターの魅力を教えてください。
山田:企画の種類はとにかくバラバラ。1人で企画していたら、絶対にこんなバリエーションにはならない。お堅い真面目な企画もやるけれど、思い浮かんだ変なアイデアや突拍子もない企画もここでだったらやれちゃうのは、魅力なんじゃないかな。
本多:僕はここでの企画を通して試してることが結構いっぱいあります。普段は子ども向けの施設で働いていますが、去年企画した3つはすべて子ども向けじゃなかった。ここにこの企画と連携してやってるものがほとんどですが、もうちょっとマニアックなことをやってみたいなと昔から思っていたので、それをコアな大人たちが集まる場でやれているのはすごくいいなって思います。
山田:今年1月に行った「『からだ』のメディア論―錯覚と虚構から探るフシギな世界」で講師で来てくれた「からだの錯覚」の研究者、小鷹研理さんは、会場になっているみずのうえ文化センターに足を踏み入れた瞬間に「あ、やばい空気が満ちている」みたいな、ちょっとテンションが上がっていた。閉鎖的で少し入りにくい変な喫茶店に変な大人が集まっちゃってるみたいな感じがあって、それがすごくいいよね。
本多:マレーシア出身の美術家タン・ルイさんが講師で、参加者は目隠しながら彫刻づくりを体験した「感じる、覚える、作るー手でみる彫刻作り体験」は、タンさん本人がずっと興味があって、試してみたかったことを叶えられてすごく良かったですね。あれは行政主導の施設でやるのはハードルが高いイベントでした。
塩見:タンさんの企画はここにこでは難しいと思った一方で、劇場ならできそうだと思いました。ただ、ポンってやるよりは、今回のように私が参加者として体験させてもらえたことで、できることと難しいことのジャッジができました。メンバーには、美術博物館の学芸員や市職員、いろいろなイベントの企画運営をしている民間の人など、さまざまな立場の人がいるからこそ、注意するところも話し合えるので、実行する上での準備もスムーズでよかったですね。
山田:去年の振り返りで言うと、 僕はやっぱり今年2月に行った現代美術家である鈴木淳夫さんの展覧会。年度の終わりに水上ビル全体を使ってやれたのがすごい象徴的でした。水上ビルが主な会場の一つとなった「あいちトリエンナーレ2016」のように、今回の展覧会もまちなかを絡めたいと考えていました。トリエンナーレのすごく小さいバージョンとも言えるようなまちなか展開企画だったけれど、結構きちんとしたクオリティーで展示ができたと思う。水上ビルの皆さんも協力してくださり、実はそれなりに作品も売れて、嬉しかった。
ーこの活動に参加して、反響はありますか?
塩見:今年から新たにプラットの職員が1人、仲間に入ったのは大きいことだと思います。私が誘ったわけではなく、彼女は自ら山田さんに打診して入りました。そういう自主的に行動を起こせる人が、しかも地元出身者でいるっていうのは実行委員にとってもいい作用が生まれるのではないでしょうか。
本多:僕はここにこでの企画と連動しているイベントが多いので、単純に宣伝効果がちゃんとあることは大きい。特にここにこは大人だけで行くことがあまりないと思うんですけど、こちらのイベントに参加した人がいらっしゃってくれるというのは嬉しいですね。
山田:僕は参加者ともう少し話ができる時間があるといいなと思っています。うちのイベントは本当に珍しい人が集まっているので、ネットワークを広げるという意味もあるし、そこを聞きたかったんだというリサーチにもなる。毎回、終了後に参加者に書いてもらっているアンケートの内容も濃いので、参加者も意見や感想をアウトプットしたいんだと思う。だから、今年は終了後に打ち上げを企画したいですね。あとは、1年やって感動したのは赤字になっていないこと。もちろん僕ら企画者の労力に対する報酬は出せていないので、まだ決してプロの活動とは呼べないけれど、収支がプラスマイナスゼロだったのには結構感動しました。ゲストにはちゃんと必要な謝礼と交通費を払えている。それができているのは、1年やって本当に勇気づけられました。
ー今後、やってみたい企画はありますか?
山田:塩見さんが前に言っていた「水上ビルに泊まりたい」というアイデア。どこに着地していいのかわからないぐらいの種なんだけど、みんなでアイデアを揉んでいけば、目的とかやることによる社会的効果みたいなことが、なんかうまくイメージできるようになると思う。
塩見:確かに忘れてた、ありがとう(笑)。夏だったら屋上でテントを組み立てて泊まって、ロウソク1本ずつ消して怪談話をするとか。でも、着地点がまだやっぱり分からない。泊まることが着地点じゃないはずだけど。宿泊を通じてこの建物の構造を知るっていうのも面白いかな。
本多:個人的には子どもが絡んだ場作りとかクリエーションを何かできないかなと思っています。あとは、ここにこではできない、まちと関わることができる企画も考えたい。
山田:やっぱ場所の空間的な魅力は大事なので、この場所をもう少しかっこよくしないといけない。例えば入口の階段。階段を上っていきたいと思わせないといけない。講師として来てくれた美術作家の今井俊介さんのデザインで階段横の壁をみんなで塗るのもいい。活動を大きくしていくためにはこの場所を改善したい。空間の中に何があったら面白いのか、文化センターのあるこの部屋は商店街の持ち物だから水上ビルの住人にもきちんと関わってもらって、話し合っていきたい。貸しスペースとして、みんなが借りたくなるぐらいの魅力的な場所にした方が、長い目で見れば商店街的にもいいのではないでしょうか。
本多:貸しスペース的に使えるようになるのはいいですね。今、この場所をみずのうえ文化センターと呼ぶけれど、常設で何かがあるわけじゃない。単発でイベントをやる場だから、空間としてのイメージが外部の人にはしづらい。常設で何かある方がいいのかなと思います。アートスペースというだけじゃなくて、情報が集約してて、「こういうものがあります」っていう場でもいいのかなとは思うんですけど。
山田:今ね、それのウェブ版をちょっと企画しています。僕が文化センターを始めたきっかけの一つに、もっと芸術文化的なイベントがこの街にたくさんあった方がいいという思いでやったんだけど、実は豊橋にはすでにめちゃめちゃ文化的なイベントがあるということを、この1年を通して感じました。特に音楽系は多い。ただ、みんながみんなちょっとずつイベントをやっていて、その情報がとにかく出回ってこないで、自分たちのお客さんだけで基本成立して十分に盛り上がっている。でも、そこに交流が生まれると、もっと大きなものができてくると思ってるから、一旦、「豊橋って実はめちゃめちゃ文化、芸術のイベントありますよ」ということを実感してもらうために、ウェブ上でイベントカレンダーを作って、今日はこの店でこういったイベントをやっているという情報を、歩いて探してまとめて発信するっていうことをやろうかなと思っています。それができたら、今度は1階を情報センターみたいにして、ポスターとかチラシを置いといて、自由に立ち寄れる情報センターにするのも面白い。
ー文化センターがある大豊商店街は今年12月で還暦です。コンクリートのビル群が水路の上に建つ珍しい建築物ですが、寿命はあと20年ほどと考えられています。水上ビルをどうしていくか、「水上ビル最期の20年間と、その後の豊橋を考える会議」を今年6月にスタートしました。まずは開催経緯を教えてください。
山田:ある日、「水上ビルってほっといたらなくなるんだよな」ってことをしんみり想像したんです。で、 「めちゃくちゃつまんないまちになっちゃうんじゃないか豊橋」と思って。水上ビルがなかったとしたら、散歩に行きたいエリアを見つけるのは難しい。それは良くないと思った。きちんと人の力が集まって一緒に動けば、20年あれば、ほとんどどんなことだって可能なはず。誰かが行動を起こさないといけないと思ったことがきっかけです。
ー第1回目のゲストは建築家で日本各地の芸術祭に関わる山岸綾さんを迎えました。反響はいかがでしたか?
山田:相当熱かったと思います。 水上ビルで実際に商売してる人も何人も来てくれて、参加者は水上ビルに愛がある人たちが集まったってこともあるし、まちづくりを仕事にしてるという自覚、自負のある人たちも来てくれてた。今は水上ビルがなくなってしまうことを前提で話しているけれど、残す前提で議論したら違う方向に行くはずだと思っています。ただ、残すことがどれくらい現実的なのかを把握できないまま議論するというような舵の切り方はちょっと勇気がなくてできない。だから、残せるのかどうかを考えるためにゲストを呼んでイベントを開いていきたい。感情的には残したいけれど、 本当に現実味があるのかを検証するために、多分2、3年はかかると思う。僕だって残したいし、その感情の方がみんなが一つにまとまりやすいとは思うが、それを無責任に言えない。まず、今回みたいに危機感を共有するために、黙っていたら水上ビルがなくなるってことだけは確実だ、ということを言わなきゃいけない。「残すことは言っておくがが難しいぞ」っていうことを水上ビルに関わる人がきちんと知ることが大事ですよね。
ー最後に、文化センターの将来展望を教えてください。
山田:僕たちは水上ビルの価値を上げるための活動をしてるんだと思っています。始めたときは、単純に水上ビルに普段買い物に来ない人たちが、文化センターのイベントのおかげで水上ビルを訪れてくれたらいいな、というすごいちっちゃなことしか考えてなかった。でも、山岸さんの話を聞いてると、文化センターの活動が水上ビル全体の価値を上げ、 実際には、買い物客を増やすっていうことよりも大きなことができるはずだっていう気はしていています。